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ウルトラファイト雑考⑤「造成地」はどこなのか(あるいは、だったのか)

祝!ウルトラファイトサブスク配信&
セブンガーファイト配信開始!!!!!!!

ウルトラファイト - TSUBURAYA IMAGINATION

 先日『ウルトラ○○○○ファイト ~後継作品全話総覧~』という同人誌を書きましたが、その際に本家「ウルトラファイト」を見返したら色々と発見があったのでまとめた記事です。本当は同人誌のコラムか何かにするつもりでしたが、分量の関係や、途中で構想が膨らんだことから、ブログ記事数本に分けて流します。

  1. はじめに/時期区分について
  2. 着ぐるみのバリエーション
  3. 撮影日程についての一考察
  4. ロケ地の変遷と「造成地」の地理的特徴
  5. 「造成地」はどこなのか(あるいは、だったのか)<本記事>

※本記事を読む前に、シリーズ④「ロケ地の変遷と「造成地」の地理的特徴」の、特に後半部分に目を通すことを推奨します。

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これがウルトラファイトの造成地だ!

 前回の記事では、ウルトラファイト新撮編ロケ地の変遷を概観し、最大の謎といえる「造成地」の地形的特徴を確認した。

 ウルトラファイトにおける「造成地」は、すでに2003年の段階で初代仮面ライダーのロケ地として知られる通称「三栄土木」(実は正確には「大竹興業」であるらしい。前記事の追記参照)だということが知られていた*1。しかしその後の公式文献での記述は錯綜し、また前回「造成地B」として把握した一帯については諸説定まらぬ状況である。

 前記事では、「三栄土木/大竹興業」の一部としても知られる〈造成地A〉および〈造成地B〉が隣接する土地であり、ほぼ同じ場所であることを確認した。本記事では、これら造成地が正確にどこに存在したのかを改めて明らかにするとともに、その来歴と、現在における状況を取り上げよう。

※本記事ではシリーズ①の【表1-1】の内容を特に説明なく参照します。
右に出てくるサムネをクリックすることで、【表1-1】を見ることができます。

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5-1.ウルトラファイトの「造成地」はどこにあるのか

5-1-1.いくつかの仮説

 そもそも〈造成地A・B〉は本当に仮面ライダーに登場した造成地と同一なのだろうか。見れば実際一目瞭然なのだが、念には念を入れておきたい。まずは、それ以外の可能性が全くないことを示そう。

①「生田オープン」説

 公式文献で度々記される、ロケ地が「生田近辺」という情報を参考にするならば、まず最初に思いつくのは「生田オープン」であろう。生田オープンは現在の川崎市多摩区菅馬場三丁目付近に存在した野外撮影所である(後掲【地図1】の①)。当時造成中であった同所を1960年代半ば頃に東宝が借り上げたもので、映画「奇巌城の冒険」のオープンセットがここに築かれたという。ウルトラシリーズでも「マン」で同映画のセットがバラージに流用されたのを皮切りに多用されており、ファイトにおいて使用されたとしても全く不自然ではない。

 生田オープンについてはロケ地研究の先達、ウェブサイト『光跡』にて非常に詳しく取り上げられている。同サイトに引かれた画像を見る限り、地形的にも造成地とだいぶ似ていることがわかる。

 しかし、生田オープン説は次の証拠によって否定される。次の【図1】は、№136「闇からのメロディー」冒頭で大写しになる仏舎利塔である。

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【図1】よみうりランド仏舎利塔(№136「闇からのメロディー」より)

 同じくロケ地研究の先達である『ウルトラシリーズロケ地探訪』によれば、この仏舎利塔よみうりランド内「聖なる森」に存在する釈迦如来殿(よみうりランド公式サイト)であるという*2。このカットは、後に詳述するが造成地Bの⑤砂の盆地から、造成地Aの巨崖とは逆の方向を写したものである。

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よみうりランド仏舎利塔(『よみうりランド―レジャーとともに40年』p.116より)

 生田オープンと仏舎利塔の位置関係を【地図1】に示す。映り込むにはやや距離が離れすぎている。また生田オープン付近で巨崖の候補になる崖は唯一【地図1】中にで示したものであるが、その左端に造成地Bが存在するとなると、カットの撮影方向とは整合しない。

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【地図1】「巨崖」の3候補(国土地理院2万5千分の一地形図「溝口」(1976年改、1978年発行)今昔マップ(http://ktgis.net)より作成)

 以上により、造成地のロケ地は生田オープンではありえないと考えられる。このほか、当時造成中であった候補地としては登戸寄りの「生田緑地」なども挙げられるが、同じ理由によって否定できる。

②日テレスタジオ北方説

 生田オープン周辺で、かつ仏舎利塔との位置関係が整合する場所としては、日テレ生田スタジオに近い【地図1】②の崖も候補となる。前回確認した巨崖の地理的条件――反対側が開け、市街地になっている――とはやや整合しないが、候補の一つにはなるだろう。

 だが、こちらも次の証拠によって否定される。№121「暴れん坊は無宿者」の次のカットに顕著なように、晴れの日の撮影回では例外なく、太陽は巨崖の向こう側から照っている。曇りの日であっても巨崖は逆光気味なのが常である。すなわち、巨崖が南向きであることはありえない。そして恐らくは、北向きであろうと思われる。

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太陽は巨崖の向こうから照っている(№121「暴れん坊は無宿者」より)

 それでは、その北向きの崖とはいったいどこなのだろうか。

5-1-2.稲城市矢野口・南山説

 よみうりランド仏舎利塔の近辺にある北向きの崖という条件に唯一合致するのが、【地図1】③の崖である。稲城市矢野口の、南山と通称される丘陵の一部だ。巨崖の反対側が市街地であるという条件も満たし、また造成地Bと想定される地点からの仏塔の角度も整合的である。前述の『ウルトラシリーズロケ地探訪』においても仏舎利塔を照らす太陽の角度から、「闇からのメロディー」ロケ地をよみうりランド西側と推定しており、こちらとも整合する。

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【地図1】③付近拡大 地理院地図で見る

 もう一つ位置を確定するための有力な証拠になるのが、同じ「闇からのメロディー」の次のカットである【図2】。これは造成地B・⑤砂の盆地のどん詰まり部分を写したものである。エレキングの脇に、鉄塔と赤い三角の片屋根のようなものが写り込んでいる。一体これは何であろうか。

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【図2】造成地B砂の盆地のどんづまり/拡大(№136「闇からのメロディー」より)

 まずは、仏舎利塔との位置関係を確認しよう。【図3】は、【図1】のカットから少し引いた場面である。Y字の特徴的な枝と、左の丸い草むらを覚えておいてほしい。

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【図3】仏舎利塔のカットから引いたところ(№136「闇からのメロディー」より)

 次に、【図4】は、【図2】と直前の別カットを合成したものである。【図3】と同じ枝と草むらが存在することがわかるだろう*3。こちらのカットでは仏舎利塔が白飛びしてしまっているが、向かって左側に鉄塔、右側に仏舎利塔という位置関係だったことがわかる。

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【図4】鉄塔と仏舎利塔の位置関係(№136「闇からのメロディー」より)

 あとはこの鉄塔の正体を明らかにすれば、ロケ地の完全確定ということになるが、どうにも決め手がない。

 とここで筆者は思わぬ助けの手を得ることになった。巨崖の位置特定の件をTwitterに投稿していたのだが*4、なんと先の『ウルトラシリーズロケ地探訪』の管理人、tsuzukiさんから直接リプライを頂いたのである*5。もしや氏ならば、この鉄塔の謎へのヒントをお持ちなのでは……? 筆者は思い切って、鉄塔のアップ画像とともに質問することにした。すると……通知が来た。「鉄塔はよみうりランドにあったスキージャンプ台だと思います*6

 ――ありがとうございます!!!!!

 まさにこれであった。

5-1-3.読売シャンツェ仏舎利塔からの位置特定

 塔とその隣にある赤い斜面は、よみうりランド内に1964年3月17日に完成したスキージャンプ台「読売シャンツェ」であると思われる。

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読売シャンツェ。手前に聖地公園の仏舎利塔も写り込んでいる(『よみうりランド―レジャーとともに40年』p.112より)

 塔高59.86m*7を誇るこのスキージャンプ台は、当時としては東洋一の規模をほこり、一体として建設された人工スキー場「読売スキーセンター」とともに開園まもない同園の人気アトラクションとなった。札幌オリンピック代表団の練習にも使用されたという。斜面は塩ビ製の新素材「エバースノー」で時季を問わない滑走を可能としていたが、素材の劣化により1972年に閉鎖となった*8

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読売スキーセンターの斜面からジャンプ台とパラシュート塔を望む(『読売新聞』1964年8月11日夕刊3面より)

 鉄塔部分はパラシュート塔で、降下しながら富士山などの眺望を楽しめたというが、こちらも数年以内に休止となっている。ジャンプ台下の建物部分は「地方学生ホテル」の一部として営業が続き、1980年に「よみうりランド会館」へ改称された*9後2004年まで営業、06年頃に解体され、現在では当時パラシュート塔であった鉄塔部分のみが残っている。【図2】はこのパラシュート塔とジャンプ台の上部(赤色だったようだ)が写り込んだものであるといえる。

 さて、ではこの位置関係から、【図2】の撮影地点――つまり、造成地Bはどこだと特定されるのだろうか。

 写り込んだパラシュート塔・仏舎利塔から角度を割り出した結果が、次の【地図2】である。

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【地図2】読売シャンツェおよび仏舎利塔から推定される造成地B(国土地理院 単写真CKT7416(1975年撮影)を加工)

 造成地Aと推定される崖の東側、そこが造成地Bの最有力候補地に絞り込まれた!! その部分を【地図3】で拡大して見てみよう。

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【地図3】 【地図2】造成地部分拡大(国土地理院 単写真CKT7416を加工)

 造成地B、それはよみうりランド駅西側にある妙覚寺裏手の造成地だった。なんと崖との間にはお誂え向きに民家があり、墓地も存在する前記事で明らかにした造成地の立地として、全ての条件を満たすのはここしかありえないのだ。そしてそこは、仮面ライダーのロケ地としても有名となる「三栄土木」あるいは「大竹興業」と呼ばれていた造成地と同一地点である。

 もう証明終了といったところだが、追い打ちでもう一個の証拠を載せておこう。【地図3】に見える墓地は、「ありがた山」と呼ばれている。実はここは特撮ロケ地としては頻出地点で、例えばウルトラマンA29話、ウルトラマンタロウ39話などがある。「光跡」さんが詳しくまとめて下さっているので参照されたい。

 さてそんなありがた山が登場する作品にウルトラマンレオ50話「レオの命よ! キングの奇跡!」というものもある*10。同話でブニョの罠にかかったレオがバラバラ死体になり投棄されるのが、他ならぬありがた山であった。トオル少年が夢でメッセージを受けて駆けつけてくるシーンで、ちょうどありがた山から下のほうを見下ろすカットがある。次の【図5】は、パンされる映像から合成したものである。

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【図5】ありがた山から見下ろす造成地B(『ウルトラマンレオ』50話より合成)

 奥に見える赤白屋根の建物は【地図2】にも見切れている東京コカ・コーラ稲城工場である。その手前には何やら土の露出した土地があり……あっ民家だ!。屋根の作りといい、№136「闇からのメロディ」で写り込んでいた民家と一致している。

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【図5】の民家の拡大と、№136「闇からのメロディ」の民家~墓地(同話より数カットを合成)

 もうこれ以上証明する必要はないだろう。というわけで長くなったが、以上によりウルトラファイトのロケ地は、「三栄土木」または「大竹興業」であることは明白となったQ.E.D.

これがウルトラファイトの造成地だ!(実写版)

※動かせます
[ドラッグ/スワイプ:回転、マウスホイール/2本指ピンチ:ズーム、右ボタンドラッグ/2本指スワイプ:パン]

 というわけで、ロケ地はついに完全確定ということになった。すなわち、東京都稲城市矢野口の南山丘陵、「三栄土木」あるいは「大竹興業」と呼ばれていた造成地である。

 と言っても、やはり多少は疑念をお持ちの方もいるだろう。そこで、当時の地形を再現した3Dマップを作った*11。ついでにパラシュート塔と仏舎利塔の雑な3Dモデルもつけておいた。適宜ぐりぐりしながら崖を眺め、「確かにここだ!」という感動を味わってほしい。もちろん、仮面ライダーなどのロケ地検証にも役立つだろう*12

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(例)造成地Bから見たパラシュート塔と仏舎利塔

え?造成地Bはどこかわかったが、造成地Aもどこかなのか地図上で知りたいって?

では、次の航空写真を見ていただこう。

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1970年頃の矢野口地域(『写真で見る稲城今昔』p.27*13より)

 注目したいのは、中央下の方に写る南山の崖線である。ちょうど「ファイト」本編と同時期であり、造成が進んでいる様子がわかるが、次の画像の赤丸部分。小屋の左脇に、葉のない5本の木らしきものが見えないだろうか。

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航空写真部分拡大

 これこそ、巨崖中央の高まりの少し右側に見えていた、特徴的な5本の木と同じものではないだろうか。

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中央少し右側にある特徴的な5本の木(№108「虐殺の行進曲」・仮面ライダー8話「怪異!蜂女」)

 すなわち、航空写真で崖の上に小屋が写っているあたりが「巨崖中央」に該当し、自動的にその下のあたりに中央付近平地その他の造成地Aの地形を比定することができる。つまり、次の地図のような感じだ。

※動かしたり、現代の航空写真などに切り替えたりできます。
※写真は1975年のもの。後述する崖の崩落などにより、崖下部分は撮影当時の地形から大きく変わっていると思われます。

5-2.ウルトラファイト「造成地」の過去と未来

 さて、ウルトラファイトの「造成地」がどこにあるのかを前節までで明らかにした。となると気になるのが、今そこはどうなっているのかということである。さしあたり上の地図で現代の航空写真に切り替えて見ると……。

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現在の「造成地」航空写真(国土地理院 電子国土基本図(オルソ画像)を使用)

なんじゃこりゃ!!!!

写真はちょうど2020年のもの。いつの間にやら、崖が開発されているではないか……。

なぜこうなってしまったのか。それを解き明かすために、まずはこの矢野口・南山の辿った歴史を順に紐解いてゆこう。

造成地前史

 当たり前のことだが、造成地となる場所は最初から崖だったわけではない。矢野口村は多摩川南岸に位置し、多摩丘陵の北端に連なる開発以前の南山との間にあって、大丸用水によって潤う多くの水田を抱えた村であった*14明治22年(1889)に稲城村に合流し、昭和32年(1957)には稲城町の大字となる。

 戦後すぐの南山は、次のような景観であった。

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1949年頃の南山(『写真で見る稲城今昔』p.41より)

 手前には水田が広がり、奥にみえるなだらかな南山の丘陵は草で覆われ、まばらに樹木がみえる。近世~昭和前期の日本の里山としてはごく典型的な景観である。つまり樹木を燃料として消費し下草は肥料などに用いるという、生産資源として利用される場であった*15。田畑と一体として、生活を支える土台となっていたのである。

 一方、『写真で見る稲城今昔』に掲載された1960年代初頭の写真では、南山は一面鬱蒼とした雑木に覆われるようになっている。高度経済成長とともに燃料の主役が石油・ガスなどに入れ替わり、また化学肥料が普及したことにより、丘陵は生産資源としての役割・価値を急速に失っていった。そして同時に、稲城市域・多摩丘陵に開発の波が押し寄せてくる。

 1950年代末、用途を失いつつあった南山の丘陵に初めて大きな開発の手が入る。それは正力松太郎率いる読売グループによるゴルフ場、そしてよみうりランドの開発であった。中流階級の浮上を捉えた正力は、一部階級の娯楽であったゴルフの大衆化、さらに家族で楽しめるレジャーの場として、多摩丘陵の開発を計画した。土地の買収は1959年1月に開始され、川崎市および稲城市にまたがる一帯で交渉が進められた。燃料の変化で利用価値が薄まった山林の売却に好意的な地主も多く、1961年にかけて400人あまりから計120万坪の土地を買収したという*16

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ゴルフコースへと造成される多摩丘陵(『よみうりランド―レジャーとともに40年』p.82より)

 買収された土地では順次造成が始まり、山を崩し谷を埋める大規模な土木工事が行われた。そして1960年にゴルフ場「読売パブリックコース」のオープン、次いで1964年にはよみうりランドが開園し、拡大を続ける東京都市域の郊外に巨大なレジャーの場が生まれたのである*17

 ところが、この時の大規模な買収では稲城・矢野口の丘陵に開発の手が及ぶことはなかった。当時の航空写真を見ると、丘陵の雑林化が進む一方で、田畑が多く残っていることがわかる。この時点では、農業の場として価値が見いだされていたようだ。

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1961年の南山丘陵(国土地理院・単写真〈MKT616〉を加工)

 しかし、70年代にかけて稲城の都市化が進展するとともに、脱・農業という産業構造の変化により、この丘陵にも新たな「活用」方法が見いだされることとなった。それこそは、山を削っての土砂採掘であった。

南山における土砂採掘とロケ利用

 稲城を含む多摩川流域の伝統的な産業に、砂利採取がある。すでに近世後期には商品としての採取が行われており、文化5年(1808)に流域を視察した大田南畝は「玉川砂利をとる舟あり、(略)一日いかばかりすくふときけば舟一艘に砂利一坪を得るといふ」*18と記している。

 明治以降、多摩川の砂利採取は産業として発展した。当初は鉄道のバラスト用、のちにはコンクリートの骨材として都市の発展に重宝された。とくに関東大震災以後は復興需要により多くの砂利が採取され、採取域は稲城・立川などの中流へと広がってゆく。どれほど盛んだったかは、明治後期~対象にかけて現在のJR南武線京王相模原線西武多摩川線などがいわゆる「砂利鉄道」として、この地域に次々開業したことからもわかるだろう*19。コンベア式の採掘船も導入されるなど大規模化した砂利採取は、さらに戦後復興期に拡大してゆく。

 当然、このような砂利採取が環境に影響を及ぼさないはずはない。河床の低下による農業用水の取水困難や橋梁への影響、水質汚染による漁業への影響といった懸念は現実のものとなってゆく。すでに戦前の1934年に規制が敷かれていたが、改めて1952年に協定が結ばれ、大規模採掘は次第に規制されてゆく。最終的には1964年に青梅の万年橋より下流で採掘が全面禁止され、事実上多摩川の砂利採取業は終焉を迎えた*20

 ただ採取業者にしてみればたまったものではない。次に目をつけられたのは、陸にある山砂だった。特に稲城の丘陵部に分布する稲城砂層の砂は粒が細かく粒度が揃っていることで知られ、埋戻し用の土木資材として重宝されたという*21

 南山一帯は、この稲城砂の採取地として開発が始まることになる。次の地図からは、よみうりランド駅西側の南山付近で、昭和43年(1968)を皮切りに昭和45年(1970)~49年(1974)にかけ次々と砂利採取の認可が下りていることがわかる。南山だけではなく、こうした陸砂の採取は当時の稲城や多摩の全域でみられる情景であった。

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稲城市域における砂利採取の広がり(『稲城市史 下巻』p.828掲載の図90を筆者改変*22

 こうした状況下で、土砂採取に参入した業者が三栄土木や大竹興業であったのだろう。南山付近に関していえば、ちょうど京王相模原線の延伸工事が進みつつあったという事情もある。1969年に着工された京王多摩川よみうりランド駅までの区間は1971年4月に開業しており*23、まさにウルトラファイトの撮影時期と重複する。南山付近にあたるよみうりランド稲城駅間は72年まで未着工であったが、1967年時点で工事の認可は降りており*24、用地確保と造成が進められている状況だった*25。鉄道開通後の開発も考慮すれば、土砂採取によって斜面を崩し平地を作り出すことは地主にとっても利益のあることと考えられたのだろう*26

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稲城駅付近での山砂採取の様子(1964年11月、『写真で見る稲城今昔』p.72)。『稲城市史』の地図には記載がないが、早い段階ですでに地形が変わるほどの土砂採取が行われていたようだ。

 こうして我々が映像作品の中で目にする「巨崖」が稲城に形成されることになった。先の地図からわかるように、ウルトラファイトが撮影された1970年9月~12月仮面ライダーが撮影された1971年2月以降*27は開発の真っ最中という時期。日々土砂が都心の工事現場へ送り出され京王線の線路が敷設されるなか、怪獣たちや怪人たちが造成地で暴れまわっていたのだった。ロケ地としてはスタジオから近く、車両の立ち入りが可能で、また適度な非日常感を演出できる土地として実際絶好のロケーションである。東京のスプロール的拡大という時代性が、これらの作品を支えたといえる。

 余談であるが、この巨崖は特撮だけに役立てられたわけではない。実は地質学の分野では通称「西山の大露頭」*28と呼ばれ、関東地方の基盤をなす海成層「上総層群」の一つ「稲城層」の観察地として知られている。稲城層は層厚100mにもおよび、南山に露出する上部は砂層から成る。「白ベタ」と呼ばれる30cmほどのテフラ(火山噴出物)が挟まれるが、これは前回巨崖の特徴として述べた白い地層に該当するものだろう*29

 さて、1960年代に形成された南山の巨崖には大きな問題があった。砂層ゆえの脆さである。すでに造成が行われる以前からたびたび崩落が起きていたというが、大きく切り開かれたことでその危険度は増していた。1972年5月、土砂採取後の南山の崖は、豪雨の影響で大規模な崩落を起こしてしまう。幸いに人的な被害はなかったものの、土砂が京王線北側まで流出する事態となった。この後土砂の流出を防ぐため都の指導によって造成地には大きな溝が掘られるなどしたが、根本的な解決にはならなかった。南山の「造成地」はその後、がけ崩れの危険性を孕んだまま、広大な未利用地として放置状態となってしまう*30。ロケ地としての利用も、70年代なかばを境にして途絶えてしまったようだ。

南山の開発

 南山の崖に開発の動きが無かったわけではない。1970年12月には地元の運動により都市計画法にもとづく市街化区域に指定されており、活用の道の無くなった南山を住宅地に開発する機運が高まった。同じ頃に日本住宅公団による全面買収・一括開発の計画が立てられているが、しかし地権者の間で反対派・賛成派の対立が起こり、1971年には公団による開発に反対する請願も出され、最終的に計画は頓挫する*31。地権者の意向を重視して土地区画整理組合方式*32による区画整理と開発が模索される頃には、既に1980年代に入っていた。三井不動産が関わり80年代後半には開発計画が進み始めたが、しかし住民による開発反対運動が巻き起こった。詳しい経緯は省くが、以後10年以上にわたり、市議会やメディアを巻き込んでの激論が続くことになる*33

 以上のような経緯のため、南山の巨崖はごく近年(2010年代前半)までその姿をとどめることになった。一介のロケ地ファンとしてはありがたいところだが、しかし活用されないままの土地は税金や管理の上で地権者の負担ともなっていた。また不法投棄が横行するなどの治安上の課題も生まれていた。もちろん、不安定な砂層がいつ崩れるともわからない。何らかの形で人の手が本格的に入れられることが望まれていた。

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2008年頃の南山の崖(Wikimedia Commonsより。fitm氏撮影。CC3.0 BY-SA

 住民運動側と組合側の折り合いが次第についていったことなどから、2009年には起工式が行われ、本格的な開発(再造成)が2010年代前半にかけて開始されることとなる。ファイトのロケ地付近に関しては、崖部分を「緑地」としつつもその上部や平地部分は全て宅地化されることとなっている。崖にかかる部分の再造成は、ストリートビューで確認できる限り2015年頃に開始され、2019年にかけて住宅が次々と建設されていることがわかる。

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2014年
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2015年
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2017年
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2018年
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2019年

南山の崖上部の変遷(Googleストリートビュー*34より)
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 将来的に、南山はどのような姿に変わるのだろうか。稲城市の公表する事業概要によれば施工期間は2024年度までであり、施工面積は87.46ヘクタールに及ぶ。次の設計図に示すように、南山の巨崖あたりを北端として丘陵の未開発地をごっそりとニュータウン化しようとするものである。さらに東京都の施工する道路整備も一体として進められ、地域の交通も改善しようという意欲的な計画である。

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山東土地区画整理事業設計図(稲城市ホームページ*35より)

 南山は現在「スカイテラス南山」の名前で分譲が進んでいる。最終的には稲城駅近くに中層マンション、その他を緑地に囲まれた低層住宅地区とし、学校や商業施設、さらには読売ジャイアンツのファーム球場までを含む複合的な街へと完成する予定であるという*36。21世紀の人口減少社会にあって人口の都市部集中が進みつつある現代の時勢を捉えた計画といえる。エネルギー革命によって里山での人の営みが絶えてから半世紀以上、南山はまさに新たな姿へと生まれ変わりつつある。

5-3.「造成地」の現在:ロケ地探訪記(2020年9月)

 というわけで、ウルトラファイトの「造成地」の過去から近未来までを駆け足で見てきた。きっと稲城市に素晴らしい税収をもたらすだろうニュータウンとか稲城砂層のことはさておき、本記事読者の関心は「いま造成地はどうなっているのか」にあることと思う。以下では、筆者が現地を訪れた際の「造成地」の現状を紹介したい。

 というわけで筆者が稲城長沼駅に降り立ったのは2020年9月のことだった。新型コロナ第2波は落ち着きはじめるも、県境をまたぐ移動の自粛が呼びかけられ、東京のGoToトラベルは未解禁だった、そんな頃である。ちょうど同人誌のために「ウルトラスーパーファイト」の聖地巡礼を行っていたが、移動経路の途中に稲城・南山があったので立ち寄ったわけである。駅前の等身大スコープドッグを横目に、シェアサイクルで筆者は一路南を目指した。

5-3-1.「スカイテラス南山」と造成地A

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南山の崖を遠望する(2020年9月)

 この写真は、上に挙げたストリートビューの地点である(下地図の「撮影ポイント0」)。これから目指す崖はすでに半分が切り開かれ、住宅となっている。残る部分にもブルーシートが張られるなど、再造成が近いことを予感させている。

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国土地理院 基本測量成果(淡色地図)
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国土地理院 電子国土基本図(オルソ画像)

現地探訪写真の撮影地と比定ロケ地
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 ちょうど見えているのは、「巨崖」中央からやや右のあたりである。ここから見える当時のロケ地——〈造成地A〉へ、可能な限り接近してみたい。残念ながら工事中のためこれ以上の直進はできない。筆者は西側の稲城駅の方へ迂回して崖を目指した。

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「スカイテラス南山」崖上の住宅地の風景(2020年9月)

 稲城駅から結構な急坂を上り、「スカイテラス南山」の区域へ入ってきた。ここは崖上の住宅地区である。洋風の住宅がすでに立ち並び、近くにはスーパーもできている。小学校も開校済みで、住んだならとても快適そうな場所だ。正直住めるものならちょっと住んでみたい。まだ東側の大半は工事が進行中であり、土の露出したいかにも造成地という地形が一瞬往時を想起させる。

 そんな崖上から少し坂を下った先、そこに造成地Aの成れの果てがあった。

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2020年9月における造成地A(パノラマ)
撮影地は前掲地図の「撮影ポイント1」

 これから造成しますといった具合の草の生い茂った地面と、植物の這った崖……航空写真と照らし合わせると、ちょうど「大峡谷」のあたりから「中央付近」を見ていることになる。この先は残念ながら立ち入り禁止となっており、当時と同じアングルを探って感慨にふけることはできなかった。しかし、それにしても少し崖が低くなっているような……? その疑問の答えはもう少し先で。

 最新の航空写真を見るとこの当時よりも造成は進み、少し先まで住宅の基礎ができているようだ。土地区画整理事業の設計図によれば、このあたり一帯は幹線道路と住宅地に生まれ変わることになる。巨崖自体は緑地として緑が保全されることになっているが、がけ崩れなど起こさないよう、なだらかに整えられコンクリートで補強されてしまうことだろう。この付近の造成は2021年度までに完了するとあり、もう間もなく、あの巨大な崖の姿を見ることはできなくなる。

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前掲南山東土地区画整理事業設計図より、造成地A付近の抜粋

5-3-2.ありがた山と造成地B

 工事関係者の不審がる視線を感じながら筆者は造成地Aを離れ、次なる目的地に向かった。もちろんそれは〈造成地B〉である。よみうりランド側への道路は現在造成中のため、いったん稲城駅まで下り、崖下を大きく回って反対側へ移動する。急坂の上り下りで脚がだいぶきつくなってきた。およそ15分、よみうりランド駅西側のガードをくぐり、妙覚寺脇の坂を上って「ありがた山」の墓地のあたりへ向かう。

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2020年9月現在のありがた山

 墓地の下あたりから撮影したパノラマをご覧いただこう。左側に見える〈造成地A〉はさきほど見た通り、草が生い茂り住宅が建つのを待つばかりの状態だ。そして崖下の方へ目を向けると……あっ民家だ! 「闇からのメロディー」やレオ50話に映り込んでいたあの民家は、現存していた!!!

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ありがた山から見下ろす造成地B付近(パノラマ、2020年9月)
撮影地は前掲地図の「撮影ポイント2」

 ということは、その奥の竹やぶのあたりがかつての〈造成地B〉砂の盆地にあたる部分だろう。レオ50話で奥に見えていたコカ・コーラの工場は、2005年に稼働を終え*37、今はマンションとなっている。できれば〈造成地B〉だった場所へ入りたかったが、入り口が見つけられず断念となった。

 ちなみに、ありがた山中腹から造成地Aの方角を見たときに興味深いものを見つけることができた。次の写真をご覧いただきたい。地面にコンクリの壁のようなものが並んでいることがわかる。

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南山における再造成の様子(2020年9月)

 実は、南山の再造成ではこうしたコンクリの壁を並べその間に土を充填するという手法で、急崖の斜度をやわらげ、安全な宅地化が図られている。つまり、先ほど訪れた〈造成地A〉の地面は、すでにファイト撮影時の地面ではなく、かさ上げされたものだったのだ。なるほど崖が低く見えるわけである。

 探訪当時「ありがた山」あたりには開発の影響は及んでいなかった。しかしそれもこの時までのこと。設計図を見ると、ちょうどありがた山の墓地群の下のほうが道路に転用されることになっている、探訪した時点でもそのあたりからは仏塔や墓石が既にどけられていた(上のパノラマも参照)。「砂の盆地」のあたりは現状が保たれるようだが、レオ50話の景観は、やはり2021年度中に姿を消してしまうことになる。

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前掲南山東土地区画整理事業設計図より、造成地B付近の抜粋

おわりに

 以上、長々とウルトラファイトの造成地をめぐるお話に付き合ってもらった。ウルトラファイトの造成地は現在の稲城市矢野口の南山丘陵を切り開いて作られた土砂採取場だった。そしてそこは、初代仮面ライダーでもロケ地に使われ、「三栄土木」あるいは「大竹興行」とスタッフから呼称された場所と同一だった。ロケに使われて以降は放置状態となっていたが、2010年代に入り「スカイテラス南山」として一帯は住宅地へと変貌を遂げつつある。2020年~2021年度にかけて、ウルトラファイトに登場した付近から当時の面影は完全に失われることになるだろう。ウルトラファイト50周年という年に皮肉なものだが、しかしそれも、活用が望まれながらも果たせなかった南山という土地の宿命であったとも言えるだろう。

 「造成地」については、先行研究により既に大まかな部分が明らかにされていた。今回はそれを改めて確認するとともに、より精密な検証を行うことができた。それはひとえに№136「闇からのメロディー」にヒントの何もかもが映っていたからである。第3回撮影を演出された谷清次監督、横方向のダイナミックなカメラワークを実現してくださった永井仙吉技師*38に感謝を申し上げたい。さらに、twitter上で貴重なご助言をくださった大先達のtsuzuki氏、ロケ地大画報氏の両氏にも改めて御礼申し上げます。

 さて、とりあえず今回で5回にわたった「ウルトラファイト」考察記事はしめくくりとなる。最初は同人誌のコラムのつもりだったのが、いつの間にか2倍、3倍と伸びてしまい、今計算したところではちょうど4倍程度となってしまった。「ウルトラファイト」という作品の奥深さ(?)や、論点の多さに改めて気づかされた。まだ課題だらけであるが、50周年のうちにひとまずの成果をまとめることができたのは幸いだった。そして気づけば「帰ってきたウルトラマン」の50周年アニバーサリーイヤーが始まろうとしている。シン・マンは延期になってしまったが、これでどうだとばかりにTSUBURAYA IMAGINATIONでウルトラファイトが見放題になってくれた。新作セブンガーファイトはもちろん、ちょっとお金を出せばミラーファイトレッドマンもみられる。ウルトラファイトの次なる輝かしい50年へのゴングは鳴ったばかりだ。

2021年3月31日(№128「握手は終った」初回放送50周年記念日)
終劇

ウルトラファイト雑考」総目次

*1:「ファイト古戦場めぐり」『ウルトラマンAGE』Vol.11、2003年

*2:余談だが、この仏舎利塔にはパキスタンから迎えられたブッダの遺髪と、スリランカから迎えられた仏舎利が収められている。1964年の開園にあたり当時の読売新聞社主で戦後政治のフィクサーとして知られる正力松太郎がアジア友好のためとして両政府に働きかけ、現地の寺院で尊崇を集める聖遺物をよみうりランドに勧請したのである(よみうりランド社史編纂委員会編『よみうりランド―レジャーとともに40年』よみうりランド、1989年)。今ではほとんど知られていないが、戦後国際政治の一断面がウルトラファイトに映し出されているのだ。

*3:この枝の特徴についても、tsuzukiさんよりご教示いただいた。

*4:https://twitter.com/tfukumahi/status/1273632166048456704

*5:https://twitter.com/ultraloc/status/1274387771612749824

*6:https://twitter.com/ultraloc/status/1275088860767064072

*7:『読売新聞』1964年3月18日朝刊8面

*8:よみうりランド社史編纂委員会編『よみうりランド―レジャーとともに40年』(よみうりランド、1989年)p.112

*9:以上、前掲『よみうりランド―レジャーとともに40年』

*10:同話についても、「ウルトラシリーズロケ地探訪」のtsuzukiさんからご教示いただいた。度々ありがとうございます。

*11:1970年代の造成当時の精密な地図を得ることはできなかったので、1984年測量、85年発行の国土地理院発行1万分の1地形図「調布」「百合ヶ丘」の等高線から標高データを再現している。テクスチャは1975年撮影の単写真〈CKT7416〉を用いた(以上、測量法に基づく国土地理院長承認(使用)R2JHs802)。

*12:ちなみに南山の崖上にある「多摩サーキット」は仮面ライダーに何度か登場した場所である。

*13:稲城市教育委員会教育部生涯学習課編『写真で見る稲城今昔』稲城市教育委員会、2003年 p.27、№32。1970年頃の撮影。

*14:地名編纂委員会編『角川日本地名大辞典 13 東京』)角川書店、1978年)「矢野口」の項

*15:参考:水本邦彦「近世の自然と社会」(歴史学研究会・日本史研究会編『日本史講座6 近世社会論』東京大学出版会、2005年)など。ある試算によれば、近世において草木肥料を確保するためには、田畑の10倍以上の山野が必要だったという

*16:以上、前掲『よみうりランド―レジャーとともに40年』

*17:同上

*18:『調布日記』文化5年12月22日条。現在の大田区に所在する古市場村あたりの情景である(『蜀山人全集 巻一』吉川弘文館、1907年 p.275。国会図書館デジタルコレクションによる)

*19:このほか、中央線の廃支線「下河原線」となる東京砂利鉄道がある

*20:以上、稲城市編『稲城市史 下巻』(稲城市、1991年)・ 児玉幸多編『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』(平凡社、2002年)「総論 多摩川

*21:稲城市史 下巻』・日本語版Wikipedia稲城砂」2021年3月14日閲覧

*22:元図はこちら。
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東京都南多摩経済事務所の『事業概要』各年分が出典と思われるが、所蔵先がコロナにより閉館中のため未見。

*23:『運輸と経済』35巻5号、1971年5月

*24:『鉄道ピクトリアル』21巻4号、1971年4月

*25:ロケ地大画報さんからのご教示による(https://twitter.com/yartsensei/status/1373104674866302978)。

*26:前掲『稲城市史 下巻』p.827。鉄道建設のための造成にしては範囲が広範であり、おそらく山砂採取と鉄道の建設は同時に隣接した土地で行われていたと考えられる。

*27:岩佐陽一編『仮面ライダー大全』双葉社、2000年

*28:地域によって呼称が異なったようだが、南山と同じ丘陵を指す。植木岳雪・原英俊・尾崎正紀『地域地質研究報告 5万分の1地質図幅 八王子 東京(8)第62号』(地質調査総合センター、2013年)、『稲城市史 上巻』(稲城市、1991年)ほか

*29:高野繁昭「多摩丘陵の下部更新統上総層群の層序」『地質学雑誌』100巻9号、1994年

*30:以上、「南山東部地区のまちづくり」稲城市ホームページ(http://www.city.inagi.tokyo.jp/shisei/machi_zukuri/kukakuseiri/kumiaisekou/minamiyama.html、2021年1月20日閲覧)および「南山の抱える問題と開発」NPO南山の自然を守り育てる会HP(http://ina-mina.com/profile1.html、2021年1月20日閲覧)

*31:前掲「南山の抱える問題と開発」・『稲城市史 下巻』p.878

*32:地権者らが組合を設立し、土地を区画整理した上で一体として開発を行うもの。「土地区画整理事業とは」公益社団法人街づくり区画整理協会(https://www.ur-lr.or.jp/outline/about.html、2021年3月21日閲覧)

*33:前掲「南山の抱える問題と開発」・「南山東部地区のまちづくり」。運動の経緯についてはWikipedia南山東部土地区画整理事業」(2021年1月20日閲覧)が詳しい。

*34:https://www.google.co.jp/maps/@35.636208,139.5083976,18z

*35:「南山東部地区」稲城市ホームページ(http://www.city.inagi.tokyo.jp/shisei/machi_zukuri/kukakuseiri/kumiaisekou/minamiyama.html、2021年3月21日閲覧)

*36:「スカイテラス南山」https://skyterrace-minamiyama.com/、2021年3月21日閲覧

*37:1967年操業開始。50周年記念事業推進プロジェクト社史編纂室編『さわやかを拓いて』(東京コカ・コーラボトリング株式会社、2007年)より

*38:撮影回次及びスタッフの比定についてはシリーズ第3回を参照