ウルトラファイト雑考③撮影日程についての一考察
セブンガーファイト配信開始!!!!!!!
ウルトラファイト - TSUBURAYA IMAGINATION
先日『ウルトラ○○○○ファイト ~後継作品全話総覧~』という同人誌を書きましたが、その際に本家「ウルトラファイト」を見返したら色々と発見があったのでまとめた記事です。本当は同人誌のコラムか何かにするつもりでしたが、分量の関係や、途中で構想が膨らんだことから、ブログ記事数本に分けて流します。
本記事では、前2回の内容を元にして、ウルトラファイト新撮編がいったいいつ撮影されたのか、という大きな問題について考察します。
- はじめに/時期区分について
- 着ぐるみのバリエーション
- 撮影日程についての一考察<本記事>
- ロケ地の変遷と「造成地」の地理的特徴
- 「造成地」はどこなのか(あるいは、だったのか)
※本記事ではシリーズ①の【表1-1】の内容を特に説明なく参照します。できれば①も読んでいただきたいですが、単独でもおそらく大丈夫です。
右に出てくるサムネをクリックすることで、【表1-1】を見ることができます。
新撮編はいつ撮影されたのか
ウルトラファイト新撮編はいったいいつ撮影されたのだろうか。円谷プロ研究者であれば一度は気になる疑問だと思う。この疑問については、現在もっとも信頼できるソースであるDVD-BOXブックレット*1を参照しても、今ひとつはっきりしない記述しか見つけることはできない。
実は、その答えはとうの昔に出されていた。それは1995年発売のLD-BOX「ウルトラファイトメモリアルBOX」の付録ブックレット*2の裏表紙においてである。そこには「『ウルトラファイト』撮影作業報告書再録」として、撮影部によって記録された撮影日やスタッフのデータが抜粋翻刻されているのだ。【表3-1】にその内容を整理した。
日付
本日の作業
監督
技師
スタッフ
備考
70/09/16
水
74話
鈴木俊継
永井仙吉
鈴木、黒田
途中で中止
70/09/17
木
73,74,79,72,81,75話
鈴木俊継
永井仙吉
鈴木、黒田
※№72は真偽不明
70/09/18
金
82,83話
鈴木俊継
永井仙吉
鈴木、黒田
雨のため1時に中止
70/09/19
土
鈴木俊継
永井仙吉
鈴木、黒田
7時集合するが雨天中止
70/09/20
日
(撮休)
70/09/21
月
75,76,78,86,85,87,84話
鈴木俊継
永井仙吉
鈴木
7-17時撮影
70/09/22
火
93,94,95,96話
谷清次
永井仙吉
鈴木、黒田
70/09/23
水
97,98,99,100,102,104,92話
谷清次
永井仙吉
鈴木、黒田
70/09/24
木
114,115,116,118,117話
安藤達己
永井仙吉
鈴木、黒田
※№115以外は真偽不明
70/09/25
金
105,106,110,101,112,91話
谷清次
永井仙吉
鈴木、黒田
※№112は真偽不明
70/10/09
金
タイトル撮影
永井仙吉
野口、タチバナ
70/11/10
火
よみうりランドロケ
鈴木俊継
永井仙吉
柿沼、黒田
70/11/11
水
よみうりランドロケ
鈴木俊継
永井仙吉
柿沼、黒田
70/11/12
木
剣崎海岸ロケ
鈴木俊継
永井仙吉
柿沼、黒田
帰社後タイトル撮影
70/12/15
火
タイトル撮影
永井仙吉
野口、佐山、熊谷
70/12/16
水
谷清次
永井仙吉
熊谷、野口、関谷、須崎、飯田、佐山
70/12/17
木
(撮影なし)
70/12/18
金
谷清次
永井仙吉
野口、関谷、須崎、飯田、佐山
70/12/19
土
谷清次
永井仙吉
野口、関谷、須崎、飯田、佐山、熊谷
71/01/18
月
タイトル撮影
永井仙吉
野口、熊谷
71/02/04
木
軽井沢ロケ
谷清次
野口明
佐藤貞夫
71/02/05
金
軽井沢ロケ
谷清次
野口明
佐藤、黒田
天気条件悪し
71/02/06
土
軽井沢ロケ
谷清次
野口明
佐藤、黒田
撮影条件午後悪し
71/02/07
日
軽井沢ロケ
谷清次
野口明
佐藤、黒田
71/02/23
火
タイトル撮影
野口明
熊谷
71/03/09
火
下田ロケ
大平隆
野口明
佐藤、黒田
71/03/10
水
下田ロケ
大平隆
野口明
佐藤、黒田
71/03/11
木
下田ロケ
大平隆
野口明
佐藤、黒田
71/03/12
金
下田ロケ
大平隆
野口明
佐藤、黒田
71/04/02
金
タイトル撮影
野口明
熊谷、佐山
71/06/04
金
(怪獣倉庫)
熊谷健
野口明
兵藤、岸田、佐山、石田
*LD「ウルトラファイトメモリアルBOX」〈BELL-819、EMOTION、1995年〉所収データによる。
撮影班の記録した「撮影作業報告書」の内容を書き起こしたデータだという。
*70年9月撮影分の話数記載は着ぐるみの異動や天候と整合しない部分があり、全般的に信憑性が怪しい
元になった資料は、記載内容などからみて『ウルトラセブン撮影日誌』*3p.23に例示される「撮影作業報告書」と考えられる。主に使用機材やフィルムの使用尺などを記録した様式である。同じく円谷プロで作成された「製作日報」に比べて情報量では劣るが、同時代的な記録として貴重な情報が多く記されている。ロケの日程はおろか、監督・カメラマン(「技師」と記載)・ 参加スタッフ*4なども丸わかりである。特に、ロケ地や撮影話数までもが記載されていることは注目に値する。
ロケ日程は次のように整理できる。
- 第1回撮影(70/09/16~70/09/25)
- 第2回撮影(70/11/10~70/11/12、ロケ地:よみうりランド*5・剣崎海岸)
- 第3回撮影(70/12/16~70/12/19)*6
- 第4回撮影(71/02/04~71/02/07、ロケ地:軽井沢)
- 第5回撮影(71/03/09~71/03/12、ロケ地:下田)
- 追加撮影(71/06/04)
シリーズ①では、制作№がそのまま撮影順を反映したものではないことを明らかにしつつ、大まかな制作の順序として、新撮編全体がおよそ六つの期間に区分できることを示した(【表1-1】)。では、この6つの期間は、ロケ日程とどのように対応するのだろうか。前回②で詳述した着ぐるみのバリエーションや変遷を踏まえつつ、本稿ではあくまで仮説としてであるが、比定を試みたいと思う。
……といってもほとんど明らかなようだが、実はそう単純な話でもない。以下、順番に検討してゆく。また、判明する限りで個別話数の撮影日・撮影順についても検討したい。
第Ⅰ期≒第1回撮影前半
■1970/09/16~21(09/19・20撮休) 監督:鈴木俊継 撮影技師:永井仙吉
第Ⅰ期に対応するのは、第一回撮影の前半(1970/9/16~9/21)と考えられる。これについてはあまり異論のないところであろう。先のLDのデータを信用するならば、撮影開始は9月16日、鈴木俊継監督による「74話」すなわち制作№74「戦慄イカルスの大逆殺!」ということになる。しかし小雨が降る中、当日は同話のみで撮影終了となったようだ。
参考のため気象庁および日本気象協会による各ロケ日程の天気の記録を後掲の【表3-2】に示した。16日の東京気象台では「曇時々雨」であった。以後数日にわたり曇りまたは雨という恵まれない気象状況が続く。これは【表1-1】に示した第Ⅰ期各話の気象条件とも一致している。
【表3-1】を信じるならば第Ⅰ期に属する話数はほぼ9月21日までの鈴木俊継監督担当分までで撮りきられたものと思われる。記事①で述べた通り「造成地A」ではない場所で撮影された№82・83は、【表3-1】では9月18日に2話だけ撮影されたことになっており、かつ雨天中止という記述は同話で雨が降っていることとも一致する。
ここで問題となるのは、黒首Aタイプが登場する第Ⅰ期のなか、銀首が登場した№72・75(の前半)の撮影日程である。【表3-1】では、「72話」が9月17日、「75話」が9月17日・21日の撮影ということになっている。しかしこれにはやや疑問が残る。№72と同じ日程に撮影されたことになっている各話はいずれも黒首Aタイプが登場する回である。仮に2体のスーツが現場に持ち込まれていたとして、果たして銀首よりも黒首を優先させて登場させる理由はあるだろうか。№75については、撮影が2日にわたることは前後半でスーツが違うことと符合する反面、後半21日の撮影分はやはり黒首の登場回ばかりであり、同じ疑問が生じる。確実なことは言えないが、おそらく後の日程で撮影されたのではないかと想像される。
回
日付
気象庁
日本気象協会(goo天気より)
撮影話数(LD)
昼(6-18時)
夜(18-6時)
地点
9時
12時
15時
地点
1
70/09/16
水
曇時々雨
降水なし
東京
曇
曇
曇
東京
74 ※途中中止
1
70/09/17
木
曇
降水なし
東京
曇
曇
曇
東京
73,74,79,72,81,75
1
70/09/18
金
雨
時々雨
東京
雨
雨
曇
東京
82,83 ※途中中止
1
70/09/19
土
雨
時々雨
東京
雨
雨
雨
東京
※雨天撮休
1
70/09/20
日
晴
降水なし
東京
曇
晴
曇
東京
(撮影なし)
1
70/09/21
月
曇時々雨
降水なし
東京
雨
曇
曇
東京
75,76,78,86,85,87,84
1
70/09/22
火
晴
時々雨
東京
晴
晴
晴
東京
93,94,95,96
1
70/09/23
水
雨
雨
東京
曇
曇
曇
東京
97,98,99,100,102,104,92
1
70/09/24
木
雨
時々雨
東京
雨
曇
雨
東京
114,115,116,118,117
1
70/09/25
金
雨
一時雨
東京
雨
雨
曇
東京
105,106,110,101,112,91
2
70/11/10
火
曇
降水なし
東京
晴
晴
曇
東京
よみうりランドロケ
2
70/11/11
水
晴
降水なし
東京
晴
晴
晴
東京
よみうりランドロケ
2
70/11/12
木
晴
降水なし
東京
晴
晴
晴
東京
剣崎海岸ロケ
3
70/12/16
水
晴
降水なし
東京
晴
晴
晴
東京
3
70/12/17
木
曇
降水なし
東京
曇
曇
曇
東京
(撮影なし)
3
70/12/18
金
晴
降水なし
東京
晴
晴
晴
東京
3
70/12/19
土
曇
降水なし
東京
曇
曇
曇
東京
4
71/02/04
木
晴
降水なし
軽井沢
晴
-
晴
長野
軽井沢ロケ
4
71/02/05
金
晴
時々雪
軽井沢
雪
-
晴
長野
軽井沢ロケ
4
71/02/06
土
晴
降水なし
軽井沢
晴
-
晴
長野
軽井沢ロケ
4
71/02/07
日
晴
降水なし
軽井沢
晴
-
雪
長野
軽井沢ロケ
5
71/03/09
火
晴
降水なし
石廊崎
晴
-
晴
静岡
下田ロケ
5
71/03/10
水
晴
降水なし
石廊崎
晴
-
晴
静岡
下田ロケ
5
71/03/11
木
曇
降水なし
石廊崎
晴
-
晴
静岡
下田ロケ
5
71/03/12
金
晴
時々雨
石廊崎
曇
-
晴
静岡
下田ロケ
第Ⅱ期≒第1回撮影後半
■1970/09/22~09/25 監督:谷清次・安藤達己 撮影技師:永井仙吉
第Ⅱ期に対応するのは、第1回撮影の後半(1970/9/22~9/25)と考えられる。【表3-1】によれば、鈴木俊継監督に代わり9月22日から東宝出身で当時「チビラくん」も担当中だった谷清次監督が3日間入り、安藤達己監督も1日を担当している。本撮影の終了直後の9月28日からは、「ファイト」の本放送(抜き焼き編)が開始されている。
天候に目を向けると、№93~96の4話が撮影されたとある9月22日は、第1回撮影の日程中唯一の晴天だったようだ。実際№92~97の映像を確認すると目にもまぶしい晴天が広がっている。このあたりはすべて22日の撮影分とみなして良さそうである*7。23日以降は再度悪天候となるが、スケジュールが切迫するなか初期のように撮影中止にはできなかったようであり、雨天を押して一日数話ずつが撮影されたようだ。
第Ⅱ期では前述のように銀首セブンAタイプが登場する。前記事で取り上げたように、スーツの特徴からみて黒首Aタイプの首が再塗装されたもののようであり、第1回撮影のなかでも、銀首Aタイプ登場話群は第Ⅰ期の黒首Aタイプ登場話群に比べて時系列的に後に属することは明らかといえよう。
№72・75の撮影時期の謎
そこで再度気になるのが、№72と№75前半の撮影時期である。両話はセブンが銀首となるこの時期に撮影されたとするのが自然といえる。だが、そうだとしてもやはり疑問が生じる。実は、両話に登場する銀首セブンは第Ⅱ期に登場する銀首セブンとは別の個体と考えられるのである。前の記事にて解説しているが、体表の模様などが明らかに異なる「銀首Bタイプ」と識別される。
銀首Bタイプは、主に第Ⅲ期に属する話数で活躍している。では両話の撮影は第Ⅲ期≒第2回撮影なのか、というとそれも怪しい。DVD-BOXの作品リストによれば、№72の初回放映は11月2日である*8。第2回撮影は11月10~12日であり、時系列が合わない。つまり、銀首Bタイプのスーツは、銀首Aタイプと同時に第1回撮影の現場に持ち込まれていなければならないのだ。
実は、第Ⅱ期の作品のなかにも一話だけ、銀首Bタイプが登場している。それは№96「それは電光よりも早かった!」であり、首の装飾がやや異なるB'タイプと識別されるが、胴体は銀首Bタイプと同じ個体である。これは現場にスーツが2体存在したことの傍証となろう。
先に述べたことと少し矛盾するようだが、ここでは「第一回撮影の後半では、セブンのスーツは2体持ち込まれていた」と理解したい。№72・75・96は、二体目のスーツで撮影されたのである。スーツの破損か、演者の体格の都合か、あるいは実は2班体制が組まれていたのか、真相は不明だが、これがいまのところ最も整合的な解釈なのではないだろうか。
第Ⅲ期≒第2回撮影
■1970/11/10~11/12 監督:鈴木俊継 撮影技師:永井仙吉
第Ⅲ期に対応するのは、第2回撮影(1970/11/10~11/12)と考えられる。【表3-1】によれば、第2回撮影はふたたび鈴木俊継監督で、ロケ地は「よみうりランド」と剣崎海岸であるという。この「よみうりランド」はおそらく記録者の勘違いで、別記事で詳述するとおり、よみうりランド近辺ではあるが、これまでと同じ造成地での撮影である。
ところで【表3-1】では、第Ⅲ期に区分したうち№112~118にかけての数話は第1回撮影の最終盤の9月24・25日に撮影されたことになっている。しかしこれはほとんど誤りだと思われる。まず第一に、天候が合わない。例えば№112・114は抜けるほどの快晴だが、9月24・25日は両日とも雨である。東京気象台の記録ではともに日照時間0時間、平均雲量10であり、青空が映り込む余地はない。一方で、第2回撮影の各日は【表3-2】の通り好天に恵まれている。
ついでに、登場する着ぐるみも整合しない。№112・114に登場するイカルスは模様の異なるBタイプだ。しかし同じ25日に撮影されたとある№105・106(こちらは雨である)のイカルスはAタイプであり、セブンはともかく怪獣を同時に二種類持ち込んでいたとは考えにくい。その他№116~118についても、天候や、ケロニヤ・シーボーズが登場していることから第1回撮影で撮影された可能性はごく低いといえる。
つまり【表3-1】にある話数の記載は少なくとも9月24・25日分については非常に疑わしく、そのほかの日付についても再考の余地があるといえる。そもそもの問題として、ここに記された「○話」が制作№と一致しているとは限らない。熊谷健氏(制作担当)の証言*9によれば、初期の撮影では怪獣の対戦表やサブタイを考えて持ち込んでいたといい、ある程度の話数構成は事前にできていたようだ。これに従った「話数」が撮影作業報告書に記入されたものだろう。しかし実際の編集作業を経てその「話数」どおりにモノが出来上がるとは限らない。半ば想像だが、本来「112・114話……」などとして9月に撮影された分はより前の、第Ⅱ期あたりの作品に使われてしまい、11月の第2回撮影分が繰り上がる形で№112・114……に編集されたのではないだろうか。
一方で第Ⅲ期には、第1回撮影で撮影されたフィルムが使用されたと考えられる回が2話存在する。まずは№115「セブン逆転す!」である。この回のみ登場するセブンは銀首Aタイプであり、第Ⅲ期では唯一ガッツが登場する。天候が晴れという問題はあるが、第1回撮影分の余りフィルムが使用されたとするのがよりふさわしい。
また、№119「地獄までつきあえ!」も第1回撮影分と思われる。この回に登場するイカルスは、冒頭のみBタイプ(天候は快晴)だが、ファイトに入るとAタイプ(天候は曇り)となる。対戦相手が第Ⅲ期では唯一の登場となるアギラであることからも、第1回撮影分のフィルムに、冒頭のみ第2回撮影分のフィルムを継ぎ合わせて造られた話数であるということができる。
第2回撮影日程の最終日・11月12日は三浦半島の剣崎海岸*10でロケが行われたようだ。エレキングがAタイプであることから、№128・129がこのロケでの撮影分に該当すると思われる。両話の背景となる景色も、ロケ地が剣崎海岸であることを物語る。
第Ⅳ期≒第3回撮影
■1970/12/16~12/19(12/17撮休) 監督:谷清次 撮影技師:永井仙吉
第Ⅳ期に対応するのは、第3回撮影(1970/12/16~12/19)と考えられる。【表3-1】によれば監督は谷清次氏である。ちょうど№131あたりから作風がコミカルなものに変わるのはその現れだろうか。なおこの時期について、ロケ地や作業内容の記載はみられない。
この時期の天候はほとんど晴れであり、第Ⅳ期の天候状況と一致する。また、№148~150にかけて地面に霜が降りていたり池に氷が張っていたりすることも12月の撮影であることを示唆している。
また第Ⅳ期の話数はセブン黒首Bタイプ-エレキングBタイプ-イカルスAタイプの組み合わせで統一されていることから、全て同じ時期――第3回撮影分のフィルムが使用されたものと考えられる。
なお第Ⅳ期には№144~146の3話分、三浦半島でのロケが挟まれている。こちらのロケ地はミラーファイト新撮編でも使用された荒崎海岸であると先行研究で指摘されている*11。そしてさらに剣崎海岸ロケとは別日程であることは既述の通りだが、おそらくこの3話は第3回撮影日程中か、あるいは近い時期に撮影されたものと考えられる。
セブン・エレキングの着ぐるみが一致していることもあるが、谷清次監督の証言が傍証となる。DVD-BOXブックレットのインタビューで氏は、着ぐるみの管理担当から「壊さないでくれよ」と言われたにも関わらず現場では「海の中に怪獣をぶちこんじゃったり」したと述べる。それが№144「セブンよこの挽歌をきけ!」でエレキングが海中にいることを指すならば、荒崎海岸ロケもまた谷清次監督の担当分ということになり、第3回撮影の時期に含めるのが妥当といえる。なお、№144~146の3話の天候は曇りだが、第3回撮影の日程中で曇りだったのは12月19日だけである。
第Ⅴ期≒第4回撮影
■1971/02/04~02/07 監督:谷清次 撮影技師:野口明
第Ⅴ期に対応するのは、第4回撮影(1971/2/4~2/7)と考えられる。【表3-1】によれば監督は谷清次氏、ロケ地は軽井沢である。この比定については疑念を挟む余地はないだろう。なお、この撮影中の2月6日には「帰ってきたウルトラマン」第1話本編班がクランクインしている*12。
第Ⅴ期のうち、№151「熱い子守唄」のみはセブンが黒首Bタイプであり、またロケ地は碓氷第三橋梁*13である。前記事で述べたように、黒首Bタイプと銀首Cタイプは胴体部分の模様の一致により、再塗装された同一個体と思われる。おそらく日程初日に軽井沢へ行く途中で1本のみ撮影を行い、現地到着後に首の塗装を行い、軽井沢でのロケにのぞんだものだろう。
軽井沢でのロケ地は浅間山の角度からみて軽井沢の南方と北方の数カ所に分けられるようだ。谷清次氏は学生時代に軽井沢に別荘を借りたことがあり土地勘があったといい、移動しては同じ場所でアングルを変えて数話を撮影したという*14。おそらく同じ場所での撮影分は意図的に話数をばらして編集されており、元の撮影順を復元することは少し難しい。ただ、途中で一度雪が降っているようなので、そこを境に区分することは可能ではないかと思われる。これについては、今後の課題としたい。
第Ⅵ期≒第5回撮影
■1971/03/09~03/12 監督:大平隆 撮影技師:野口明
第Ⅵ期に対応するのは、第5回撮影(1971/3/9~3/12)と考えられる。【表3-1】によれば監督は新参加の大平隆氏、ロケ地は下田である。こちらの比定も間違いないところだろう。
伊豆下田でのロケは「ウルトラシリーズロケ地探訪」さんにより、1話を除いて具体的なロケ場所が特定されており、白浜海岸・吉佐美大浜・入田浜・逢ヶ浜*15の4ヶ所の海岸で行われたことがわかっている。同サイトの成果に依拠し【表3-3】に撮影場所別に話数を整理したが、やはり同じ場所での撮影分はばらして編集されているようである。
場所
制作No.
サブタイトル
天候
エレキング
キーラー
白浜海岸
(計3話)182
悪党仁義
晴れ 夕方
血なし
189
勝負師の道はきびしい
晴れ
血なし
192
怒涛!殺しの浜
晴れ
血なし
吉佐美大浜
(計16話)171
血と砂のバラード
晴れ
血
174
くたびれ損の骨もうけ
晴れ
血
176
波涛!三段拳法
晴れ
177
吸血の岩
晴れ
血
178
必殺!居合の浜
晴れ
不明
179
潮騒は俺の子守唄
晴れ
血
181
砂漠に赤い花が咲く
晴れ
184
怪獣手習鑑
晴れ
血なし
血
185
座頭は俺だ!
晴れ
血
186
怪獣わんぱく戦争
晴れ 夕方
血
187
みな殺しの数え唄
晴れ 夕陽
188
怪獣餓鬼道
晴れ 夕方
血
190
じゃまする奴
曇り
191
逆転のブルース
曇り
血
193
この平和な島の何処かで
晴れ
血
血
194
やくざ番付
晴れ
血
血
入田浜
195
激闘!三里の浜
晴れ
血
血
逢ヶ浜
(計4話)172
罠の罠
曇り
173
海は青かった
曇り
血
180
怪獣島異聞
晴れ
血
183
怪獣残酷物語
曇り
血
血
不明
175
怨念!小島の春
晴れ
血
撮影順を考える上での大きなヒントとして、エレキング(Cタイプ)の脚部およびキーラーの右腕には、血(というか赤いペンキ)が着いている場合と着いていない場合がある。それぞれ №171「血と砂のバラード」もしくは№177「吸血の岩」、№182「悪党仁義」で付着したものと思われるので、それ以前と以後に分けることができる。
ロケ地に着目すると、白浜海岸での3話は両者ともに血がなく、逆に逢ヶ浜の4話ではどちらも血が付着している。つまり、白浜海岸でのロケの最後にキーラーに血が付着、続いて吉佐美大浜でのロケ中にエレキングにも血が付着、その後逢ヶ浜のロケも行われた、という流れになるだろう。
さらに、実は伊豆ロケについては非常に有力な史料が残されている。『ウルトラマンAGE』Vol.6所収の熊谷健氏のインタビュー*16では同氏の「古い製作メモの日誌」からの抜粋が収録されているのだ。以下に引用する。
■昭和四十六年三月九日(火) 午前七時に円谷プロ出発の下田ロケ。その日、白浜海岸で昼十二時開始で、大平隆監督により三本消化し、夜は「大浜荘」泊り。夜、翌日の題名と合わせコンテ打合せ、十一時就寝 ■三月十日(水) 天候に恵まれ、朝七時三十分発で吉佐美浜ロケ。順調に十本消化し、夕方スタッフ一同「天城」で珈琲をすすり、夜十一時コンテ打合せ十二時就寝 ■三月十一日(木) 朝七時起床し、弓ヶ浜海岸ロケ。午前中に五本消化し、昼は「大浜荘」で食事し、午後から吉佐美浜のホテル前で二本消化し、夕方五時三十分帰京。 予定通り、二十本消化し、撮影は無事終了する。
この史料では下田ロケでは3月11日までの3日で20本撮影し終了したことになっている。しかし既に見たように撮影作業報告書によればロケは12日まで4日間行われ、また下田ロケの総話数は25話である。明らかな矛盾であるが、撮影していない日に撮影作業報告書が作成されるはずもなく*17、ここでは「熊谷氏のみ何らかの理由で11日に帰京し、本隊は12日も下田に残留し5話分を撮影した」と考えたい。
さて、実際の作品と対照させると、白浜海岸撮影の3本は3月9日の撮影、逢ヶ浜(史料では「弓ヶ浜」)撮影分4本は3月11日の撮影であると確定できる*18。先に述べた血液の付着状況とも合致する。
残りは吉佐美大浜(入田浜は吉佐美浜に隣接するため、区別せず記されたものか)での撮影であり、3月10日~12日にかけて撮影されたことになる。さしあたり、血液が付着していない話数は3月10日の撮影分としてよいだろう。宿泊していた大浜荘は吉佐美浜近くに所在し*19、アクセスが非常に良かったことが、吉佐美大浜での撮影分が最多となった理由だろう。なお「吉佐美浜のホテル」も日程を確定する有力な鍵となるが、今回調べた限りではどこを指しているのか判断することはできなかった。
№196=第6回撮影
追加撮影された№196「怪獣死体置場〈モルグ〉」の撮影は、1971年6月4日の第6回撮影であろう。予定外の撮影ということで監督はこれまで助監督・制作担当などを担ってきた熊谷健氏であり、ロケ地は円谷本社の怪獣倉庫である。
№45が欠番となるきっかけの例の事件は70年10月はじめのことであったという*20。同話の初回放送はDVD-BOXのリストによれば70年10月8日というギリギリのタイミングだった。その後円谷プロは自主的な欠番を決定するも、71年4月8日に№45が再放送されてしまい、再度抗議を受けることになった*21。折しも「ファイト」は4月2日に最後のタイトル撮影を終えたばかりであったが、ここにきて差し替え用の1話を作り足すことになったのであった。撮影がおこなわれた71年6月は既に「帰マン」撮影も佳境という頃。倉庫内にはグドンやゴーストロンなどの帰マン怪獣が並んでいるのが見受けられる。
小括
回次 | 日程 | 撮影話(推定) | ロケ地 | 監督 | 持参怪獣(太字は新顔) | 対応 |
---|---|---|---|---|---|---|
第1回 (前半) |
70/09/16~21 | 73-74, 75後半, 76-81, 84-91 | 造成地A | 鈴木俊継 | セブン黒A、ウー、エレキングA、イカルスA、バルタンA、テレスドン、ガッツ、ゴドラ | 第Ⅰ期 |
α | 70/09/18 (?) | 82, 83 | 土の黒い荒野 | 鈴木俊継? | ウー、アギラ、ガッツ | |
第1回 (後半) |
70/09/22~25 | 72, 75前半, 92-111, 115, 119 | 造成地A | 谷清次・安藤達己 | セブン銀A/B、ウー、エレキングA、イカルスA、バルタンA、テレスドン、ガッツ、ゴドラ、アギラ | 第Ⅱ期 |
第2回 | 70/11/10~11 | 112-114, 116-118, 119冒頭, 120-127 | 造成地A | 鈴木俊継 | セブン銀B、ウー、イカルスB、ケロニヤ、シーボーズ | 第Ⅲ期 |
β | 70/11/12 | 128-129 | 剣崎海岸 | 鈴木俊継 | エレキングA、ケロニヤ、シーボーズ | |
第3回 | 70/12/16~19 | 131-143, 147-150 | 造成地A/ 造成地B | 谷清次 | セブン黒B、ウー、エレキングB、イカルスA、シーボーズ | 第Ⅳ期 |
γ | 70/12/?? | 144-146 | 荒崎海岸 | 谷清次? | セブン黒B、ウー、エレキングB、シーボーズ | |
第4回 | 71/02/04~07 | 151-170 | 軽井沢 | 谷清次 | セブン黒B/銀C、ウー、イカルスA、ゴーロン、キーラー | 第Ⅴ期 |
第5回 | 71/03/09~12 | 171-195 | 伊豆 | 大平隆 | セブン銀C、ウー、エレキングC、イカルスA、キーラー、バルタンB | 第Ⅵ期 |
第6回 | 71/06/04 | 196 | 怪獣倉庫 | 熊谷健 | ウー、ゴモラ | |
タイトル撮影 | 70/10/09, 70/11/12, 70/12/15, 71/01/18, 71/02/23, 71/04/02 |
以上、各話の撮影日程について、【表1-1】の六期区分に基づいて検討を行った。天候や着ぐるみの種類と対照することにより、撮影日程についてはLD-BOXの資料が信用できるものの、しかしそこに記された「話数」には疑いがあり、また話数によっては編集時に異なる撮影日程のフィルムを織り交ぜていることを確認した。今回の作業により、ひとまずある程度、具体的な撮影順や各話の担当監督が誰かという問題に見通しをつけることができたと思う。
タイトル撮影の時期を勘案すると、各期は以下のように撮影後ある程度のまとまりを保ったまま順次編集され、放映されたものと考えられる。現在残るフィルムの順番でTBSに納品された後は、局側の判断により編成され、新撮・抜き焼きを適宜織り交ぜながら放送波に載せられた。№196「怪獣死体置場」の放送日は明らかになっていないが、このフローを考慮すれば早くても7月以降のことになるのではないだろうか。【表3-5】に六期区分と撮影日程、タイトル撮影・編集・放映時期の大まかな対応を示す。
撮影
タイトル撮影
編集(推定)
放映
第Ⅰ期
第1回(9月)
10月
10月
11月
第Ⅱ期
11月
11月
12月
第Ⅲ期
第2回(11月)
12月
12月
1月
第Ⅳ期
第3回(12月)
1月
1月
2月
第Ⅴ期
第4回(2月)
2月
2~3月
3月
第Ⅵ期
第5回(3月)
4月
4月
5月
次回予告
ぶじ撮影日程の考察を終えた筆者。だがウルトラファイトにはまだ大きな謎――ロケ地は一体どこか――が残っていた。
第④回ではロケ地の変遷を追いつつ、最大の謎「造成地」に踏み込む。
次回「ロケ地の変遷と「造成地」の地理的特徴」にイナズマキーーーーック!
「ウルトラファイト雑考」総目次
*1:「ウルトラファイト スーパーアルティメットBOX」〈POBE-1062/9〉ポリドール、2006年。執筆は早川優氏による。
*2:LD-BOX「ウルトラファイトメモリアルBOX」〈BELL-819〉EMOTION、1995年。解説・構成は秋廣泰生氏
*3:金田益美編著『新資料解説 ウルトラセブン撮影日誌』復刊ドットコム、2017年。残っているのならセブン以外もどうにか刊行してほしいものである。
*4:残念ながら撮影部を中心とした円谷プロ側の人名だけであり、スーツアクター等までは記載されていないようだ。
*5:後述のとおり実際は別の場所
*6:前掲『ウルトラマンAGE』Vol.11では11月16~19日とするが、作品と天候が整合しないため誤植であろう
*7:№92・97は23日撮影ということになっているが、両話ともに晴天である。23日は気象庁の記録によれば日照時間は0.1時間にとどまるため、23日よりも22日に撮影されたとするほうがより整合的といえる。ただし、谷清次監督はDVD-BOXブックレットのインタビューで、初日はたった2話しか撮影できず制作部長からお叱りを受けた、と述べている。さらに翌日は5本、翌々日は7・8本撮影したとある。谷監督の記憶違いとしても、参加初日に6本も撮影していたようには思われない。とすれば、二班体制が組まれていた可能性も検討すべきであろう
*8:№75は12月7日放映
*9:前掲DVD-BOXブックレットおよび「華麗なる遺書②「ウルトラシリーズ」の栄光と「ウルトラファイト」の苦悩・中編」(『ウルトラマンAGE』Vol.5、2002年)
*10:「ファイト古戦場めぐり」(『ウルトラマンAGE』Vol.11、2003年)の比定による。
*12:白石雅彦・荻野有大編著『帰ってきたウルトラマン大全』(双葉社、2003年)。一方、白石雅彦『「怪奇大作戦」の挑戦』(双葉社、2019年)では2月2日としている。
*13:通称めがね橋。碓氷峠の群馬側にある信越本線の煉瓦造アーチ橋である。
*14:前掲DVD-BOXブックレット
*15:文献によっては「弓ヶ浜」と記載されているが、隣接する(というよりほぼ同じ場所の)逢ヶ浜と混同したものと思われる
*16:「華麗なる遺書②「ウルトラシリーズ」の栄光と「ウルトラファイト」の苦悩・後編」(『ウルトラマンAGE』Vol.6、2002年)
*17:撮影フィート数が記されるためごまかしが効かない上、まさか円谷プロでカラ出張が横行していたとは思えない。また、遠方ゆえ複数回ロケが組まれたとも考えにくい。
*18:残念ながら熊谷氏の回想とロケ地考証結果で1話食い違っている。
*19:大浜荘は現在も営業中である(伊豆下田観光ガイド-伊豆下田観光協会公式サイト- | 民宿 大浜荘)。現地探訪の折には宿泊してみたい
*20:12話会『「1/49 計画」サポートページ』「経緯」・「12話年表」
*21:同上