ふくらみ

膨張し続けている

ウルトラファイト軽井沢編のロケ地について

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2022年。

いやーなんというか、あっという間にウルトラファイト50周年イヤーが過ぎていきましたね(イヤーだけに)。まだまだ50周年は終わりません。TBSでの再放送が終わった1972年3月末から50年となる、今年の3月まで闘いは続くのです。

さて去年はウルトラファイトを改めて考察して、ロケ地についても(特に造成地)取り上げました。

fukurami.hatenablog.com

そこで大きな謎として残していたのが、軽井沢編のロケ地

ご存知のようにウルトラファイトでは制作№151から№170にかけての20本を、東京を遠く離れた軽井沢で撮影しています。しかし管見の限り、過去のロケ地考察でも具体的な撮影地までは特定されていないように思われます。

ということで特定しました。

目次

はじめに

ウルトラファイト』制作№151「熱い子守唄」から№175「来たり、見たり、勝てり!」は軽井沢でロケが行われた。ロケが行われたのは1971年2月4日(木)から2月7日(日)の合計4日間、監督は同時期に「チビラくん」も担当していた谷清次氏が造成地で行われた第3回撮影から続投した。

(※ロケ日程や監督の比定についてはこちらの記事を参照)

ロケ地の選定に関わったのは谷監督本人で、インタビューで語ったところによれば学生時代に軽井沢に別荘を借りていたことがあり、裏道などにも通じるほど土地勘があったことによるという*1

さて、この軽井沢編と総称される20話については、わずかに№151のロケ地が碓氷峠の「碓氷第三橋梁」であることが判明している*2程度で、具体的にどこをロケ地としていたのかは明らかになっていない。

ということで、以下では残る19話分の特定を試みたい。

ロケ地の分類

まずは大雑把な分類から。

すでに先の記事で述べたように、軽井沢編のロケ地は映り込む浅間山の角度から、その南東側東側北東側に大別できる。

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1枚目(①草地)から見える浅間山と、2枚目(③雪原)から見える浅間山は角度が異なっている

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浅間山の角度から推定されるおおまかな撮影地

さらに背景の山々や地面の状況などを基準にすると、およそ4箇所に分類できることがわかる。すなわち、次のようになる。

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1枚目:①草地(№153「この世の果て」)2枚目:岩場(№152「赤い抱擁」)

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1枚目:③雪原(№166「炎も凍れ!」)2枚目:④砂地(№169「セブン二天流」)

各話を分類すると次の通り。

放送日(DVD) 制作No. サブタイトル ロケ地 天候など
71.03.09 151 熱い子守唄 碓氷第三橋梁 晴れ
71.03.18 152 赤い抱擁 岩場 晴れ
71.03.10 153 この世の果て 草地 晴れ
71.03.16 154 狂熱のバラード 草地 晴れ
71.03.25 155 やらずのウー 岩場 晴れ
71.03.12 156 俺の名はキーラー 砂地 やや曇り
71.03.29 157 山師ゴーロン 雪原 晴れ
71.03.31 158 握手は終った 草地 やや曇り
71.03.23 159 白い殺意 雪原 晴れ
71.03.22 160 大空の騎士 草地 やや曇り 夕方
71.03.11 161 荒原の墓場 草地 晴れ
71.03.17 162 必殺!歯車くずし 草地 晴れ
71.03.15 163 荒野の雄叫び 砂地 やや曇り
71.03.19 164 殺法破れ傘 草地 晴れ
71.03.24 165 早過ぎた送葬曲 草地 晴れ
71.03.26 166 炎も凍れ! 雪原 晴れ
71.03.30 167 宇宙乱れ打ち 草地 晴れ
71.04.02 168 銀嶺のデスマッチ 雪原 晴れ
71.04.01 169 セブン二天流 砂地 晴れ
71.06.21 170 来たり、見たり、勝てり! 草地 晴れ

【表1】ウルトラファイト軽井沢編各話のロケ地分類

⓪碓氷第三橋梁

■登場話数:№151(1回)

まずはすでに判明している分。これについては議論の余地はないだろう。

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№151より

№151でセブン黒首Bタイプとキーラーが戦っているのは国鉄信越本線の碓氷第三橋梁、通称めがね橋である。

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2021年10月撮影。当時よりだいぶ川岸が削れている

この碓氷第三橋梁は言うまでもなく関東から碓氷峠を超えて軽井沢へ入る道の途中であり、おそらく撮影隊も移動の途中で立ち寄り撮影したものと思われる。

信越本線碓氷峠の群馬側である横川駅からすこし先に所在しており、明治期からこの区間の鉄道輸送を支えた重要な鉄道遺産でもある。

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碓氷第三橋梁の位置と碓氷峠越えの道
大きい地図で見る→[地理院GMaps

1963年に信越本線の新線が建設されるとこのレンガ橋は使われなくなり、北側に新たに建設された二本のコンクリ橋に機能が移されている。ウルトラファイトに映されたのは、観光名所として新たな人生を歩み始めたばかりのめがね橋だったのである。

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ちなみに、ウルトラファイトにも新橋は写り込んでいる(№151冒頭でセブンが歩いてくる)*3

現在は観光地として駐車場も整備され、探訪は容易である。ただ、バスは休日のみ運行なので、自家用車かタクシーがおすすめ。なお、橋の上の旧線路跡は横川駅から繋がる遊歩道となっており、橋の脇から階段で上ることもできる。

①草地

■登場話数:№153, 154, 158, 160, 161, 162, 164, 165, 167, 170(10回)

最多登場となるロケーションである。枯れたすすきが一面に生い茂る草っ原で、背景におにぎり型の山(高さ5~60mくらいか?)がそびえているのが特徴である。この山の麓にある広い草地の数カ所で、アングルを適宜変えながら何話も撮影されている。おにぎり型の山を除いて、近くにはあまり目立つ目標物は見られない。周囲は低山に囲まれているが、それらとはやや離れた位置関係にある。

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1枚目:№153「この世の果て」より、2枚目:№161「荒原の墓場」より

おにぎり型の山の反対側には、雄大浅間山が一望できる。話数によっては、地面に若干の残雪がみえる。

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№158「握手は終った」より加工

すでに以前の記事で触れたように、浅間山とそれに連なる山々の見える角度から、大まかな位置の特定ができる。つまり、だいたい浅間山から伸びる、次の画像の青い線の方角にあるということになる。

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「①草地」は、概ね青いライン上に比定されるGoogle Earthにて作成、Google, SIO, NOAA, U.S.Navy, NGA, GEBCO Landsat / Coperinicus, Japan Hydrographic Association)

この線上におにぎり型の山を探すと、最有力候補として「立山」が浮かび上がる。軽井沢駅からまっすぐ数km南に行ったところにある小山だ。標高、周囲の状況はぴったりである。劇中のものと比較してみても、形はほとんど一致している。

この押立山の北側にあった原野が、ロケ地の候補となる。

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立山Google Earthより。Google, SIO, NOAA, U.S.Navy, NGA, GEBCO Landsat / Coperinicus, Japan Hydrographic Association)

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1枚目:№160「大空の騎士」より 2枚目:押立山(2021年10月撮影*4

それでは、周辺の地形はというと、次の地図にまとめた通りである。近くに見える低山の稜線、東側の特徴的な山の形といい、一致していることがわかるだろう。比較画像の有無を切り替えられるので、地形もふくめてよく見比べてほしい。

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「①草地」と周辺の地形比較(|
大きい地図で見る→[地理院GoogleMaps

①草地」は立山の北麓あたりと考えて間違いないだろう。

上記の地図で「荒れ地」と「低湿地」のマークだらけなことからわかるように、付近は当時ほとんど原野に近い状態であり、撮影にはもってこいだっただろう。

現在はゴルフ場「馬越ゴルフコース」となっている。春~秋のみの開業だが、予約不要でプレーできるのが魅力の9ホール・コースだ。残念ながら立ち入っての撮影はできなかった。周辺は別荘やゴルフ場として開発されており、閑静な雰囲気が漂う。

②岩場

■登場話数:№152・155(2回)

めがね橋に続いて登場した、軽井沢での初ロケーション。巨大な崖を背景にしながらも、普段の造成地とは違う雰囲気で視聴者を驚かせる。

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特徴的な崖(№152「赤い抱擁」より)

柱状節理のようなものが見える特徴的な崖(10~15mくらい)を背景とするが、地面は草もろくに生えていない岩場である。あたりは低山に囲まれ、遠くにはやはり浅間山が見えている。

この浅間山がヒントである。次の比較画像で明らかだが、「①草地」から見えた浅間山と、かなり似ている浅間山に連なる山々との角度や、浅間山の雪のつきかたなどからみて、「①草地」と「②岩場」はほとんど同じ場所にあるのではないかと思われる。

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「草地」と「岩場」から見える浅間山の山容はかなり似ている

さらにもう一つのヒントがある。浅間山から左に少しパンしたあたりに小高い山が映っているのだが、実はこの山こそ、立山ではないかと思われる。

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立山と思われる山(№152「赤い抱擁」より)

詳しい比較は、次の比較画像にまとめた。要するに、立山の南東に隣接する低湿地が、②岩場なのではないかと思われる。

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「②岩場」と周辺の比較(|
大きい地図で見る→[地理院GoogleMaps

こちらも、現在はゴルフ場「軽井沢浅間ゴルフコース」となっている。隣接する軽井沢浅間プリンスホテルに併設された、18ホールの本格的なゴルフコースである。ちょうど5ホールの北端から4ホールの池の辺りが、かつてウルトラファイトが撮影された地帯になる。

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岩場と現在のゴルフコース(公式サイトのコースガイドを改変)

※写真撮影できないか問い合わせたら普通に断られたので、誰か連れて行ってくれるゴルフ愛好家の方を募集しています。

南軽井沢の開発とウルトラファイト

さて、「①草地」と「②岩場」は撮影当時どちらも荒野だったが現在はゴルフ場、という同じような変遷をたどっている。実はウルトラファイトが撮影された1971年2月は、ちょうどこの一帯が変貌を遂げる、まさに曲がり角にあたる時期であった。余談となるが、少し取り上げておきたい。

(※本筋だけ読みたい方はこちらをクリック)

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1971年と2015年の押立山。荒野だったあたりが、ゴルフ場へと変わっている。

もともとこの付近は、江戸時代から人々に利用されることがほとんどなかった、まさに荒野であった。

初めて人が居住したのは、寛文4年(1664)馬越新田が開かれ、西側の発地村から4軒ほどの百姓が移住した時である。ただ、これは押立山御巣鷹山(鷹狩用の鷹を保護するための山林*5)だったことから建てられた山番小屋に由来するらしく、ほとんど田畑は開かれていなかったようである*6。北方に中山道軽井沢宿があったとはいえ、標高の高いこの地域に農業利用の余地はなかった。このため近代まで荒れ地・低湿地が保存され、高原のありのままの姿が残されることになった。

明治中頃から、軽井沢は外国人の避暑地として人気を集めるようになる。明治26年(1894)に碓氷峠に鉄道が開通すると政財界の大物もまた別荘地として軽井沢を選んだ*7。しかし、この時点での開発は現在の軽井沢駅旧軽井沢など、北方に集中していた。

大正年間になり、実業家・堤康次郎が率いる箱根土地株式会社(後の国土計画/コクド)が開発を推進した。中軽井沢に続いて箱根土地が着目したのは、南方の西長倉村、今の「南軽井沢」であった。大正13年(1924)から別荘地の分譲が始まり*8、ここに至って押立山近辺にも開発の波が押し寄せたのである。

とはいえ、進みは遅々としたものだった。昭和に入ると競馬場(1600m)が開かれ、押立山山頂に「南軽井沢ホテル」も開業する*9。しかし分譲が不順だったこともあり、周囲は依然として荒れ地のままであった。

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昭和12年(1937)の押立山周辺 1/50000地形図「御代田」(昭和12年修正、昭和12年12月発行)「今昔マップ on the web」より(https://ktgis.net/kjmapw

状況が変化したのは戦後になってからであった。1956年、国土計画は旧競馬場付近に9ホールの「南軽井沢ゴルフ場」を開業する。戦後復興も一段落する頃、浮上しつつある中流サラリーマン層を当て込んで、国土計画が率いる西武グループはゴルフ・スキーといったレジャー開発に力を入れていた。先立つ1950年には晴山ホテル(現・軽井沢プリンスホテル)が開業しており*10、宿泊とレジャーをセットにした総合型の観光開発が、軽井沢でも試みられたのだった。

1960年代にかけ、軽井沢周辺は国土計画が展望した通り、都市大衆が余暇を過ごす地として新たな発展の段階に入る。既述のように1963年には碓氷峠信越本線が新線に移り、鉄道の便は改善した。南軽井沢周辺では同年に押立山の西側に別荘地「レイクニュータウン」が開かれている。ちなみにこの別荘地は、ウルトラファイト撮影の1年後、あさま山荘事件の舞台として名を馳せる。

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レイクニュータウンの概要図(「発展する南軽井沢」『毎日新聞』1963年6月27日夕刊5面より)

碓氷峠では道路の便も改善へ向かう。1966年には碓氷峠の旧道に代わる碓氷バイパスの建設が開始、1971年11月に有料道路として開通する。ウルトラファイトのロケ隊が旧道に接する碓氷第三橋梁に立ち寄ったのは、直前の2月である。碓氷バイパスは南軽井沢に開通する予定であった。つまり1971年には、南軽井沢こそが第二の軽井沢への玄関口となりつつあったのだ。

軽井沢駅近くに晴山ゴルフ場18ホール等を設けていた国土計画は、さらに大きな手を打つ。既存の南軽井沢ゴルフ場を拡張した巨大ゴルフ場、現在の「軽井沢72ゴルフ」の建設である。東西各2コース36ホール、計72ホールという構想のもと1971年7月に「西」が先行開業、翌年グランドオープンとなる。先に挙げた航空写真でも、押立山北方にゴルフ場が広がりつつある状況が見てとれる。西武グループ肝いりの開発最前線のすぐ脇でウルトラファイトの激戦が繰り広げられていたのだ。

そして72ゴルフ開業は、開発の第一段階という位置付けに過ぎなかった*11。その後開発バブルはしぼむものの、1973年には軽井沢プリンスホテルスキー場、82年には軽井沢プリンスホテル新館が開業するなど、西武は積極的な投資を重ねてゆく*12

その中で、ウルトラファイトのロケ地も変貌を迫られる。1978年、軽井沢72ゴルフは「東押立コース」18ホールを新設、計90ホールへと拡張される。この新設コースこそ、かつて怪獣たちの死闘の舞台であった「①草地」「②岩場」の成れの果てである。撮影からしばらくして道路の付け替えを含む造成が始まったようで、1975年の航空写真*13ではすでに現在に近い地形へと改変されている。

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「東押立コース」と現在のゴルフ場(『読売新聞』1978年8月23日朝刊22面下段広告を改変)

その後、軽井沢72ゴルフはさらなるコース新設を経て、1995年に東・西・南・北の4場計108ホールに再編される。その過程で、東押立コースの西側9ホールは1993年に「馬越ゴルフコース」、東側は1994年に新設コースとあわせ「軽井沢浅間ゴルフコース」として独立開業する。97年には浅間ゴルフコースの南に軽井沢浅間プリンスホテルが開業、一帯は現在の姿に落ち着くこととなる*14

長い脱線となったが、ウルトラファイトのロケが行われた1971年という年がいかに大きな意味を持っていたか、おわかり頂けたと思う。碓氷バイパスの開通を境とした南軽井沢の変貌、その直前の光景が、意図せずしてウルトラファイトの2分40秒間に記録されていたのである。

③雪原

■登場話数:№157、159、166、168(4回)

さて、気を取り直してロケ地の話に戻そう。一面の雪!という光景で印象を残したのが、「③雪原」である。①草地のロケでも若干の雪は積もっていたが、こちらでは膝まで埋もれるほどの深い雪、しかも人の踏み入れた跡すらない、もはや雪山である。

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№159「白い殺意」より

撮影地点は数ヶ所にわたるが、いずれも奥の方に雪に覆われた浅間山が大きく見えていることが特徴である。周辺には樹木が生えているが比較的低木であり、森林限界に近いかなりの高地であることを伺わせる。浅間山の反対側は開けており、遠くに上信国境の山々が見える。そして次の画像の2枚目をよく見てみると、近くに道路が写り込んでいるのがわかる。そう、ファイトのロケはバス一台に着ぐるみからカメラまで詰め込んでの強行軍。ロケ地の近くに道路がなければどうしようもないのだ。

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1枚目:№166「炎も凍れ!」、2枚目:№157「山師ゴーロン」

ここで浅間山の角度を検討すると、次の図に赤で示した最も北側の地域に絞り込まれる。

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浅間山の角度から推定されるおおまかな撮影地(再掲)

候補地域には2本の道路が走っている。西側が鬼押出し園までを結ぶ有料道路「鬼押ハイウェー」、東側が北軽井沢の別荘に繋がる国道146号線である。写り込んだのは、いったいどちらの道路なのだろうか。

ここでさらにヒントとなるのが、浅間山から90度左にパンしたところに写り込む小山である。この小山は、浅間山の麓にちょこんと聳える浅間山と考えられる。

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ロケ地の南側に見える小山(1枚目:№168「銀嶺のデスマッチ」、2枚目:№159「白い殺意」)

浅間山がこの角度で映り込むのは、鬼押ハイウェー沿いしかない。さらに諸々の証拠から、「③雪原」は、ハイウェー中程にある浅間六里ヶ原休憩所」近くの浅間山と考えられる。具体的には、次の航空写真で森林が微妙に切り開かれている辺りではないかと推定できる。

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1971年の「③雪原」付近の航空写真

検証画像を挙げておこう。

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「③雪原」と周辺の比較(|
大きい地図で見る→[地理院GoogleMaps

鬼押ハイウェーは、鬼押出し園までの区間ならば普通車280円(片道)で通行できる。2021年には浅間六里ヶ原休憩所はコロナの影響で通年休業していたが、例年ならば夏季のみ開業し、駐車して食事を楽しむこともできる。本数は少ないが、バスも運行されている。なお、周囲の山林には原則立ち入り禁止なので注意してほしい。

余談だが、上の一文のリンク先を見ると「princehotels.co.jp」「seibubus.co.jp」と西武関係ばかり。実は鬼押ハイウェーは、そもそも1933年に箱根土地の開発によって開通したもの。ウルトラファイト、というか軽井沢が西武グループと切っても切れない関係にあることが、ここからも感じられる。

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2021年10月に現地で撮影した写真と、その数日後にGoogleストリートビューが撮影した素晴らしい浅間山の景観

④砂地

■登場話数:№156、163、169(3回)

最後の一ヶ所にして最も特定が困難だったのが、「④砂地」である。地面は砂利状の灰色に近い土壌であり、「荒野の雄叫び」のタイトルにふさわしい荒涼っぷりである。

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№169「セブン二天流」より

周辺の風景を確認すると、少し離れたあたりを林がぐるりと囲っている。手前には倒された木の根らしきものもある。さらに下の方に軽井沢の市街地らしきものが映り込むことがある。以上から「④砂地」は、山の上の山林を切り開いた土地であることがわかる。

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1枚目:№163「荒野の雄叫び」、2枚目:№156「俺の名はキーラー」

こちらでも各話に浅間山が写っている。その角度を検討すると、次の図に緑色で示す、③雪原より少し南側のあたりが候補地として挙げられる。

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浅間山の角度から推定されるおおまかな撮影地(再掲)

だが、これだけでは具体的な撮影地までは絞り込めない。なんというか、人工物がまったく映らないのである。平地なら特徴的な建造物を探せばいいのだが、ここは山の上だ。さらなる証拠を求めて作品を見てゆくと、№169「セブン二天流」に大きなヒントがあった。冒頭、セブンを先頭に行進してくる直前に、ほぼ360度におよぶパンショットがあるのだ。

これをパノラマ化したものが、次の画像である。

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№169「セブン二天流」冒頭から合成したパノラマと、比較用のGoogle Earth
©Google, Landsat / Copernicus Data SIO, NOAA, U.S.Navy, GEBCO Data LDEO-Columbia, NSF, NOAA Data Japan Hydrographic Association

ここに写り込んだ山々を山並みと見比べて特定、Google Earthの3D表示を駆使して全く同じ画角になる地点をひたすら探した結果、次の地図の中央付近が最も近いことがわかった。隣の尾根では浅間山や上信国境の留夫山がこの通りに写らないし、南北に移動すると一番遠い浅間隠山が見えなくなったりする。苦労したので自信をもって言うが、ここしかないのである。

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山々の配置から推定される「④砂地」の位置(|

具体的にはどこなのかというと、航空写真でうってつけの場所を発見できた。次の画像の中心付近に、ちょうど山林が切り開かれた場所があるのがわかるだろうか。この写真ではわかりにくいが、国道から細い道も伸びている。先程述べた、近くに道路があるという条件もクリアしているといって良い。

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1971年の「④砂地」付近の航空写真

以上により「④砂地」は、浅間山尾根上の開伐地である、と結論づけたい。

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「④砂地」と周辺の比較(|
大きい地図で見る→[地理院GMaps

それでは、いったい何故こんな山の上にこんな開けた土地が生み出されたのだろうか。別荘地需要をあてこんだ開発なのか、というとそれはどうやら違う。

上の航空写真を見てもらうと、ちょうどこの土地を起点として、尾根上ではモザイク状に木々が伐採されていることがわかると思う。林業においては伐採時に区画を分け、敢えて一部の木々を残すことで山崩れを防ぎ森林の回復を早める、という方法を採ることがあるらしい(小規模皆伐、群状皆伐などと呼ぶようだ*15)。つまり、この土地は木材を切り出した跡と考えられるのである。まあわりと明らかである。撮影地点付近は特に開かれているので、伐採した木材の整理などが行われていたのだろうか。

付近には同様に伐採された山林が散見される。木材は軽井沢の別荘に使われたのか、あるいは遠く東京で民家の柱にでもなったのか、とにかくも70年代の建築需要の大きさを感じさせる光景といえる。

現在この辺りは元の山林に戻っており、往時の姿を偲ぶことはできない。すぐ南に「万山望」といういかにも山が沢山見えそうな展望台があるので行ってみたが、木が茂っていて何も見えなかった。よってGoogle Earth以外の直接証拠はないが、まあこの辺りで9割がた間違いはないものと思われる。

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現在の「④砂地」(1枚目:通過時の車載動画より(右側の山林にかつて入り口が存在した)、2枚目:2015年の航空写真)

おわりに

以上、ウルトラファイト軽井沢編のロケ地について、未解明の19話分を中心に見てきた。19話分のロケ地は、草原・岩場・雪原・砂地と名付けた4ヶ所に分類でき、それぞれについて浅間山の角度をヒントとし、周辺地形との照合によってほぼ正確な撮影地を割り出すことができた。

ここで改めて、各話のロケ地について表にまとめておこう。

ロケ地分類 制作No. サブタイトル ロケ地比定地 現在
碓氷第三橋梁 151 熱い子守唄 碓氷第三橋梁
草地 153 この世の果て 立山北麓の原野 馬越ゴルフコース
154 狂熱のバラード
158 握手は終った
160 大空の騎士
161 荒原の墓場
162 必殺!歯車くずし
164 殺法破れ傘
165 早過ぎた送葬曲
167 宇宙乱れ打ち
170 来たり、見たり、勝てり!
岩場 152 赤い抱擁 立山東側の岩場 軽井沢浅間ゴルフコース
155 やらずのウー
雪原 157 山師ゴーロン 鬼押ハイウェー沿いの浅間山東北麓 浅間六里ヶ原休憩所付近
159 白い殺意
166 炎も凍れ!
168 銀嶺のデスマッチ
砂地 156 俺の名はキーラー 浅間山尾根・万山望付近の開伐地 山林
163 荒野の雄叫び
169 セブン二天流
【表2】軽井沢編各話のロケ地まとめ

さらに5ヶ所のロケ地について、関係地名などとともに地図にまとめてみた。探訪の際には参考にしてほしい。

ゴルフ場や山林は、利用者以外の立ち入りが禁止されていることが多いので注意されたい。トラブルについては責任を負わない。

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軽井沢編ロケ地の分布全体像

ロケ地の分布をまとめたgeojsonも配布しておく。地理院地図やQGISなどに読み込ませると楽しいと思う。

karuizawa-locations.geojson

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ロケ地を特定するだけの内容なのに長くなってしまった(ここまで読んでくださった方、ありがとうございます)。本当は現地でビシっと劇中と同じアングルの写真を撮影してきて一瞬で終わらせたかったのだが、悪天候や生い茂る木々のために全く果たせず、数週間Google Earthをグリグリして証拠を集める羽目になってしまった。オミクロンのせいで当面の再訪はまあ無理だろうということになり、えいやと公開してしまったが、果たして納得はしていただけただろうか。

さて、以前造成地についてまとめた時にもひしひしと感じたが、ウルトラファイトは造成地や別荘地の裏手といった、社会の表側ではないところをロケ地にしたことで、高度経済成長で日本が年々変貌する中の〈1970~71年〉という断面を、かなり端的に描出する作品になった。稲城の造成地にしても、よみうりランドのレジャー開発から取り残された地域が、都市部向けの山砂採取によって巨大な崖に変化した土地であったし、今回取り上げた軽井沢でも、西武の巨大資本によって南軽井沢が避暑地の裏側から表玄関へ移り変わるその瞬間がフィルムに残されていた。そうなると「草地」で怪獣たちがゲバゲバしたその翌年に、隣の別荘地が本来の意味でゲバゲバしてしまった*16事にも、奇妙な符合という以上の意味合いが出てくるのではないか(適当)。

記事を塩漬けにしたおかげで、ロケ開始から51周年の節目に合わせることができたのはもっけの幸いだった。いやマナカケンゴのせいで予定が押して2日ほどずれてしまったが……。

さて、実は今回の作業によって、ウルトラファイトのロケ地未確定話数は、残り2話となった*17。新撮編196話中の、あと2話である。その2話とは№82「宿命のライバル!」と№83「 嵐を呼ぶ血戦場!」。造成地での撮影中だが、なぜかこの2話のみ、明らかに違う場所でロケしているのだ。

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№82「宿命のライバル!」および№83「 嵐を呼ぶ血戦場!」より

まあそれなりに目星が無いことはないのだが、もしピンときた方がいれば、Twitterなどで教えてほしい。よろしくお願いします。

*1:DVD-BOXブックレットより

*2:ウルトラシリーズロケ地探訪」さんが明らかにしている(http://www.ultraloc.org/locations/usuidai3/index.html

*3:ちなみに新橋まではそれなりの距離があり、望遠レンズが持ち込まれていたようだ。セブンの左にあるのは現存する圧力調整池。
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*4:悪天候とカメラ設定のミスにより画質が終わっているのは気にしないでほしい

*5:日本国語大辞典』「御巣鷹山」の項より。「押立山」は「御巣鷹山」の転訛ともされる。

*6:以上、岩井伝重『軽井沢町志 歴史篇』軽井沢町志編纂委員会、1954年

*7:泉喜太郎『町誌 軽井沢』軽井沢町誌編纂会、1953年

*8:前掲『町誌 軽井沢』、土屋 俊幸「第1次大戦以降における観光資本の別荘地開発―箱根土地株式会社の経営展開を中心として」『林業経済』 38(10)、1985年

*9:前掲『軽井沢町志 歴史篇』、「 南軽井沢ホテル(大観楼)- 西武グループの歴史 資料編」http://web1.nazca.co.jp/fuk200260/page149.html

*10:以上、「西武グループの歴史 | 西武ホールディングスhttps://www.seibuholdings.co.jp/group/history/

*11:以上、近代建築編集部「変貌する南軽井沢―南軽井沢開発計画」『近代建築』25(10)、1971年

*12:「会社の沿革 | 会社情報 | プリンスホテルズ&リゾーツ」https://www.princehotels.co.jp/company/history/

*13:国土地理院・単写真CKT7513-C3A-16、1975/10/06撮影

*14:「会社の沿革 | 会社情報 | プリンスホテルズ&リゾーツ」https://www.princehotels.co.jp/company/history/

*15:伐採の方法については、農水省中部森林事務所のこちらのページが参考になる→「中部森林管理局/木曽ヒノキ林の施業の具体的内容」(https://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/sigoto/kiso-hinoki/hinoki02_02.html

*16:ちょうど2022年2月19日に50周年となる

*17:厳密にいえば№175「怨念!小島の春」も具体的な地点が確定していないが、少なくとも下田ロケ中の撮影であることは判明している。以前の記事では吉佐美大浜を有力候補地として挙げた。